2007.02.01
「如月/更着」
Miles In The Sky by Miles Davis (1968)
月が替わりました。睦月から如月へ。ってこんな呼び方をする人が、周りにすっかり少なくなりました。ちょっと悲しいかも。如月って更着とも書き、その名の由来は寒さで着物を更に重ねて着ることからきてるそうです。今年の冬はエルニーニョと温暖化の影響もあり、全国的に暖冬で、東京では今年に入って冬日がなく、菜の花やひまわりまで咲いているそうです。でも、本格的な寒さはこれから。皆さん、風邪など召しませぬよう。この寒さを越せば、春は必ずやってくるのですから・・・。
最近の私は、余裕のない時間のはぎれを見つけてはちびちびと「論語」などを読んでいます。宇野哲人さんの「論語新釈」です。今更ではありますが、いろいろと思うことも気づくことも多々あり。昨日もあることにふと気が付いたのですが、今日は時間があまりないので、このお話の続きはまたいずれ。で、久々にマイルスのお話を。
Miles In The Sky (1968)
1967年後半に、マイルスは鉄壁のクインテットを従えヨーロッパツアーに出ます。これらの演奏は残念ながら公式版はなく、数枚のブートレグが出ているだけですが、ナカヤマ氏によればこの時の演奏は決して「プラグド」することなく、バンドとしての完成度を極限までに高めていった、いやぎりぎりにところまで行ってしまったようです。一方マイルスは次のステップとして、電気楽器へのアプローチを開始します。自伝によれば、
「ジェームス・ブラウンをたくさん聴き始めて、彼のギターの使い方が気に入ったせいで、俺の音楽もギターのサウンドへと動き始めていた」
「ジョー・ザビヌルがキャノンボールのバンドでずっと弾いていて、オレは未来を示唆するようなエレクトリック・ピアノのサウンドがすごく気に入っていた」
というわけで、マイルス初のエレクトリックサウンド録音のアルバムがこれ。1曲目の「Stuff」、トニーはロックビートを刻み、ロンはエレキ・ベースでズンドコズンドコ。これが延々17分続きます。そう、この頃のマイルスの楽曲は、当時のメンバーの作品が多くなったことも理由ではありますが、主旋律によって構成された完結した曲というよりは、サウンドあるいは響き、時間を埋める音のようなものに変わっていきます。マイルス自身が組曲的なものと表現している全体の統合と、メロディによるメッセージ性への分解が起こっているわけです。そしてこれは80年代半ばのPOPチューンの時代まで続くようになります。
ただ、この時点ではまだまだJAZZマイルスは健在で、2曲目のジョージ・ベンソン参加の「Pharaphernalia」などはぐんぐんとスイングしてるし、3曲目の「Black Comedy」は当時の(?)マイルス全開というか、いかにもJAZZしてます、トニーもしばきまくりです。ロックの世界ではアルバムのラストは次のアルバムの方向性を示唆することが多いのですが、4曲目の「Country Son」はどうでしょう? 最初は往年のジャム・セッション風のハイノートで始まりますが、途中でリズムがどんどん変わってゆき、マイルスもショーターも歌い(ボイシング)始めます。ハンコックもクラシカルなたたずまいを垣間見せたり・・・。トニーですか? ええ、しばきまくってます。とにかく、メロディは60年代のままですが、サウンドも構成もあきらかに60年代初頭のものとは異なる、つまりは70年代マイルスへの扉が、静かに開かれているのです。JAZZの世界の中で、マイルスが一番遠くまで行った一枚。そして「キリマンジャロの娘」をはさんで、いよいよ「ビッチェス・マイルス」が花開くことになります。