2007.03.05

CLASSICS

ヨハン・セバスティアン・バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ BWV1001-1006 (1720年頃)

古典派ではなくロマン派のシンフォニーがメインライブラリの私も、時折古典のソナタ物をかけることは、以前モーツァルトのときにお話しました。今回はバッハです。一族のうち音楽家が50人は下らないという音楽家一族に生まれたバッハは、9歳の時相次いで父母をなくします。近くの町でオルガニストとして独立していた長男に引き取られた彼は、ルター派のラテン語学校に通い始め、兄からオルガンとクラヴィーアを習います。18歳でワイマールの宮廷ヴァイオリニストになり、その後オルガニストとして活躍、1917年にはケーテンの宮廷楽長に就任します。ケーテンの宮廷楽団の演奏能力の高さに強い刺激を受けた彼は、楽団員の練習用にとさまざまな器楽曲の名作を残しました。今回の「無伴奏・・・」もその当時作られた6曲です。

「真の天才のすべてがそうであるように、バッハも自分の為に仕事をした。彼は自分自身の願望を満たし、自分自身の趣味を満足させ、自分自身の考えによって対象を選び、そしてまた最後に自分自身の喝采を無情の満足とした。(中略)真の芸術作品がこれ以外の方法で生まれることがありえようか?」最初のバッハ伝を記したヨーハン・フォルケルの言葉です。この曲の生い立ちがエテュード(練習曲)の使命を帯びていたとはいえ、その音が空気を振動させ、私たちの耳に伝わった時に余韻として残されるこだまは、ひとつの完成された芸術であることを物語っています。

確かにこの曲はチェロ組曲や平均律クラヴィーアと同様、長らくそういう運命をたどりました。ヴァイオリニストがたった一人でステージに上がるなど、それまでは誰も考えもしなかったからです。そしてこの曲をソリストの演奏として最初に世に出したのは、以前ブラームスのヴァイオリン協奏曲のときに紹介したヨーゼフ・ヨアヒムだと言われています。まだ13歳だった当時のヨアヒムは1844年のコンサートでこの作品を演奏し、後にシューマンがピアノ伴奏付きの楽譜を書きますが、彼のソロ演奏のスタンスは変わらなかったそうです。ヨアヒムによって単なるエチュード(練習曲)でしかなかったこの曲が、この時を持って自体完結した楽曲となります。

たったひとつのヴァイオリンで演奏されるこの楽曲。しかしその楽譜は、単なる旋律楽器としての音色を超えた和声表現を求めます。エチュードとして精巧無比な演奏を求めながら、名演によって紡ぎ出されたその音色はあくまでも人間味ある暖かさに溢れ、また狭間から神の声までがこぼれてくるようです。今日もうちには、名ヴァイオリニストが訪れて、主の御言葉を・・・。ライブラリのCDは、クイケンのオリジナル楽器による演奏。バロック・ヴァイオリンは1700年ごろのジョヴァンニ・グランチーノ作、弓も18世紀初頭のもので、近代楽器のもつ力強さには及びはしないものの、バロックの持つポリフォニックなテクスチャーが内から染み出てくるような演奏になっています。他にも、ミルシテインの73年録音やシュムスキーの75年物などが有名です。

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