2007.04.21
「続々・遍歴の告白」乗り物編・バイク シーズン:ゼロ
今回の遍歴告白は乗り物編のバイクです。私の2輪免許は生まれ年の関係から、大型とか中型とかではなく、一発制限なしというやつです。16歳で2輪免許を取得し、今のところ取り消しにもならず、無事「大自二」のところにチェックマークが入っております。
私の2輪の遍歴は、思えば小学校のときに始まります。もちろん免許はありませんからシーズン:ゼロです。当時高校生の近所の先輩に乗せてもらったのがこれ。
HONDA Benly SS50
「ベンリー」って、「便利」からきてたのかなぁ〜。ならば結構安直な名前の付け方ですなぁ宗一郎さん!そうそう、当時はまだ、栄光の「CBシリーズ」は発売されていなかったのです。このバイクは、1967年にHONDAから発売されたスーパーカブ用のエンジンを積んだ当時の50cc最強モデル。ハイカム(!)、大口径バルブ、大口径キャブ、アルミシリンダに5速クロスミッションを搭載し、圧縮比は9.5、最大出力は6ps/11000rpmで、なんとリッター123psという、今なら笑って済ませられるナンセンスなバイクでした。
載せてもらったと言っても後ろではありません。二人乗りで前に座ってちゃんと運転したのです。もちろん公道ではなく、近所の山道を(笑)。価格が69,000円。当時の高卒初任給が2万円台だったと思いますので、給与の約3か月分の高価な乗り物。それを小学生の私に運転させた先輩というのも大した者です。そしてこのあと中学に進学した私は、そのままバイク狂にと思いきや、実は車狂となり「モーターマガジン」(と天文ガイド)を毎号購入する、とんでも中学生となってゆくのでありました。
とにかくこの当時は第一次スポーツカーブーム。1969年スカイラインGTR(ハコスカS20)、フェアレディZ432が発売開始、1970年には当時ヤマハ製の名機2T-G型エンジンを積んだセリカ1600GTと、同じくDOHCエンジン搭載のギャランGTO-MRが、71年にはロータリーエンジンを搭載した狼サバンナが登場。ちなみにいすゞ117クーペが発売された1968年は、乗用車の生産台数がトラックを追い抜いた、自動車業界にとってマイカー時代(こんな言葉もありました!)の本格的到来を告げた年でした。そして富士スピードウェイではノンターボ5リッターのモンスターマシン、トヨタ(&YAMAHA)7と日産R382が激しいバトルを繰り返し、「サーキットの狼」のモデルでも登場するトヨタのドライバー河合稔が「オーモーレツ」の小川ローザと結婚するも鈴鹿の110Rに散ったのも1970年、大阪万博の年でした。では、次回はいよいよ実車編です。
それにしても自分の過去を振り返り、その遍歴を整理するなんぞ、老い先短いのかしらん・・・。