2007.10.17
「狩猟民族の ひと夏の思い出」
10月も半ばを過ぎ、東北地方のあちこちからは初雪の知らせも届く頃になりました。皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしのことと、お喜び申し上げます。ってか、すっかり秋です。今日の三日月、ことのほか美しかったですねぇ〜。静謐といいますか、秋の月です。
で、もう大好きな夏は終わってしまったわけで、「さようなら2007年夏!」。皆さんはこの夏、どんな思い出を残されましたでしょうか?告白します。私は・・・苦い思いが胸いっぱいに詰まった夏でした。
それは、夏まだ早い5月頃に始まりました。クーラーがまだちょっと肌に痛い、とある日の食料品店の店内。私はある文字にまるで呪文を掛けられたかのように引き寄せられました。今思えば、それがすべての始まりだったのです。
[ ゴーヤ 198円 ]
実はそれまで、存在は知っていたもののまともに食したことのなかった「ゴーヤ・チャンブル」。その異文化な言葉が、まるで「南無大師」のあとに「遍照金剛」と続くように私のまぶたの裏を流れ、気がつくと右手に1本のゴーヤを握り締めた私がいました。握り潰さんかのごとくしっかりと。
それからと言うもの、週一回のゴーヤ・チャンブルとの甘いひと時、いや苦いひと時を過ごすようになります。もともと東南アジア系の女性、いや料理が好きでしたので、もう本当に彼女に夢中になりました。
「好きだよ・・・」
「イボイボ」
「食べてしまいたいくらい・・・」
「イボイボ」
しかし、恋には始まりがあり終わりがある。198円だった彼女も100円近くになったとある週末の夜、そこに、いるべきそこ、約束の場所に、野菜売り場の一番右はしのそこに、彼女はいませんでした。悲しかった、とても悲しかった。でも私は泣かなかった。
「男子たるもの、たとえ腕がちぎれようとも涙するな。泣くのは人生でただ一度、己の母を失った時だけだ!」
というのが我が家の教え。だからぐっとこらえました。
彼女の、新しい門出に涙は似合わない。こうして二人は、その日を境に別々の道を歩むことになったのです。まだまだ、うだる暑さが続いてはいましたが、私の心にはもう秋風が吹き始めていました。いや、木枯らしだったかもしれない。暑く寒い幾夜を過ごしました。
蝉たちがその存在を誇示するように、人の心の迷いや後悔、ほろ苦い思い出など吹き飛ばすかのように鳴き叫ぶある夏の日の午後。私は実家のある田舎に帰省していました。なんとそこに、彼女がやってきたのです。劇的な再会でした。
なんでも、私が彼女にぞっこんなことを母から聞いた近所のおばさんたちが、畑で取れたゴーヤ、正確にはにがうりを、それ以来毎週毎週うちの家まで運んでくれたのです。こうして、私たちの甘く、いやもとい、苦い蜜月がまた始まりました。うちの流しのかごには、いつもゴーヤが山盛りになっていました。
しかし、人の心というのはロウソクのともし火のように危ういもの。たとえ週に1、2度とはいえ、いつもそばにいると次第に他に目移りしたりするものです。
「もう、そろそろ終わりにしようか・・・」
「イボイボ・・・」
しかしですねぇ、近所のおばさんたちは、満面の笑顔と優しい言葉で包んで、やはり毎週届けてくれる。 → 持ち帰る → 食する
ってな訳で、この夏はたらふく赤福ではなく、たらふくゴーヤを食した、「ほろ苦い夏」だったのです。ちなみに、豆腐に七味を掛けると大人の味がしますよ。もひとつちなみに、今夜の夕食はもちろん「ゴーヤ・チャンブル」でした。まだまだ、私の夏は続きます。