2008.01.03
In My Country 邦題:イン・マイ・カントリー
1910年から続いていた南アフリカ共和国の人種差別・隔離政策、いわゆる「アパルトイヘイト」が、1995年に終わりを告げます。マンデラ大統領による政権下、ツツ司教を代表とする「真実和解委員会(TRC)」が各地で開催され、アパルトヘイト政策時に迫害した者された者、双方から話を聞き、被害者の体験を共有することで痛みを和らげ、また証言のうえ組織の中での指揮に従ったものと判断されれば、加害者にも恩赦が与えられました。
アパルトヘイトがなくなったこと自体は知ってはいましたが、「TRC」などということが行われていることは、全く知りませんでした。そのTRCに取材する立場で立ち会った、南アフリカ系白人女性(ジュリエット・ビノシュ)とアメリカから取材にやってきたアフリカ系黒人男性(サミュエル・L・ジャクソン)を通して、政策の実態、そして人は何を信じ、何に寄って生きてゆくのかを問う作品です。
「ウブントゥ」・・・現地語で、「あなたを苦しめる事柄は、同様に私を苦しめる」という意味。宣教師たちがアフリカ大陸の南端まで広めていったキリスト教は、「あなたとわたし」は自己と神との対峙であり、隣人に対してはただ「愛せよ」としか教えません。しかし南アの黒人たちは、そもそも自然神をあがめており、厳しいアフリカの自然の中で生きてゆくためには、痛みや苦しみを共有して生きてゆく事が大切であると言い伝えられているのでしょう。
部族間の争い程度のいざこざが、白人対黒人という単純な構図になると、逆にその中身は凄惨なものになってゆきます。白人は黒人の一部をテロリストと呼んでいましたが、彼らには、いや双方ともに政治的なビジョンや策略などはなく、単なる搾取と隷属、それに対する反抗の暴力連鎖でしかありません。それは今、中東で起こっているテロリズムに対する評価を超え、既成概念による枠組みを強制しようとする覇権帝国主義側も同様でしょう。
二人がひょんなことで結ばれるのは、男女の「愛」は肌の色も国籍も、一切の異なるものを乗り越えるということへのメッセージなのか?それにしては偶発的だし、そうでなければ全く不要なシーンでした。万物を超える「素晴らしき愛」と呼ぶには、あまりにも即興的です。
自分がここの白人だったのなら、あるいは黒人だったならどうしただろう。そんなことを真摯に考えようとしている矢先の、ぶち壊しの出来事です。勘弁してよーって感じ。
両親を目の前で殺され、それ以来声の出なくなった少年が、殺害した白人の警官を許すシーンがありました。言葉には出来ないような憎悪を乗り越える力が、一体あの小さな体のどこにあるのか?真実だったのか、あるいはメッセージ性を帯びたフィクションだったのか?いずれにしても、私にとってはただの「夢」であり「理想」でしかありません。私なら、その警官を決して許しはしない。皆さんはいかがでしょうか?
2時間の映像の持つ矛盾や物語性の欠如そのものが、あの国の歴史であり真実であるとするならば、間違いなく★5つになります。
出演:サミュエル・L・ジャクソン,ジュリエット・ビノシュ,ブレンダン・グリーソン,ラングレー・カークウッド
監督:ジョン・ブアマン (2004年)
BOSS的には・・・★★★☆☆