2008.08.31

Short story

加速度 by さだまさし

時は同じ拍子で刻まれている。いや、刻むと言うのは人間が考え出したことで、時はずっと同じ速さで流れている。人なんかできる前の太古の昔から、想像もできないような遠い未来に向かって。

人は時々、そんな時の流れを早く感じたり、遅く感じたりする。

そしてある時にはそれは、「加速度的」にある瞬間から爆発的に流れ出したり、逆にある瞬間へと一気に終息し、その後は真っ白な無の時間を迎えることがある。

それは、ある雨の日の午後のことだった。

いつものように彼女からの電話。いつものように、アパートの近くの公衆電話から。でも、いつもと違うのは、それが最後の彼女からの電話だったこと。

  別れの電話は
  雨の日の午後
  受話器の向うで
  きみは確かに
  雨にうたれ
  声もたてずに
  泣いていた

楽しかった思い出話なんか、こんな時はするものじゃない。それより、何故雨は降るのかとか、風は何故吹くのかとか、そんな話をしたほうがいい。いつかのように、雲の話しでもしようか。

コインが落ちる音を何回か数えた後、彼女は不意にこうつぶやく。とぎれがちに、戸惑いがちに。

  「最後のコインが
  今落ちたから
  今迄のすべてが
  あと3分ね」って

  スローモーションで
  時が倒れてゆく
  言葉さえ塞いで

初めて会ったのは2年前の、まだ暑さの残る夏の終わりだった。あれからいろんなことがあったね。いろんなところに行ったね。笑ったり泣いたり。ふざけあったり喧嘩したり。

時が止まればいいと思った。幸せをかみしめていた。これが幸せだとわかっていた。失うことが恐かった。生きがいではなく、命そのものだった。お互いの命が。

  ごらん愛の素顔は
  2つの世界の
  間で揺れる
  シーソーゲーム
  喜びと
  悲しみと

いろいろな出来事が、走馬灯のように駆け抜けてゆく。晴れた日も、今日のような雨の日も。ちらつく雪の日も、星降る夜も。

そして、彼女からの最後の電話は、静かに「コトリ」と切れた。僕の手に、発信音と穏やかな雨のさざめきを残して。

出合った時からずっと、君はとても優しかった。不器用にしか生きてゆけない僕を、優しく包んでくれた。辛いことや嫌なことがあっても、君の笑顔はいつも、僕を癒してくれた。暖かい手も、うなじの香りも。

  途絶える直前の
  君の優しさは
  最後にピリオド
  打たなかったこと
  まるで悲鳴の様に
  云いかけた
  「それから」って

ガラス窓に吹き付けた雨のしずくが、自分の重みに耐え切れず、落ちてゆく。加速度を伴って。見慣れた景色があるはずの窓の向こうは、真っ白で何も見えず、泣き顔の君しか思い出せない。

あんなに笑いあったのに、転げまわるほど笑いあったのに、君の笑顔が思い出せない。すねた顔も、朝の日差しの中で見た、天使のようにまぶしい寝顔も。

  自分の重みに
  耐え切れず
  落ちてゆく
  ガラス窓のしずく
  あたかも二人の
  加速度の様に
  悲しみを集めて
  ほらひとつ
  またひとつ

時が止まった。ある雨の日の午後だった。

私花集〈アンソロジイ〉
さだまさし

おすすめ平均:5
5見事な短篇小説集を読んだ後の清清しさと懐かしさが同居するようなアルバム
5どうしてももう一度聞きたくなった
5「檸檬(れもん)」「案山子(かかし)」「秋桜(コスモス)」「主人公」
5いちばん良かった頃
5最高傑作

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