2008.09.01
ひこうき雲 by 荒井由実
「指きりなんかキラい。約束なんかしないからね、ゼーったい!」
そう言って君はいつも、つぎ何時逢うかさえ、決めなかった。
「明日なんて日はねぇ、来ないかもしんないんだよっ!」
そしてあたり前のように、ある日突然電話してきて、
「ねえ、今から夕日が沈む海、見に行こうか!」とか「夜明けがね、見たいの!」とか・・・
君はいつも、空を見上げていた。
息を切らしてやってくる僕を待ってる間も、二人並んで歩いてる時も、夕日を見ながら肩を並べて座ってる時も。
「雲ひとつない空を見ながら深呼吸するとね、吸い込まれるんだよ、空に!」
「ねえねえ、あの雲は昨日見えてた雲?違うの?」
「綿菓子ーっ!」「ねずみーっ!」「ショートケーキっ!」
「私ね、ひこうき雲にだけはなりたくないの・・・なるなら、あんなまんまるいやつがいいな!」
突然、僕を呼び出したと思ったらこれだ。まったく。
ゆらゆらかげろうが
あの子を包む
誰も気づかす
ただひとり
あの子は昇ってゆく
何もおそれない
そして舞い上がる
ある日、電話に出ない君は、病室の白い雲の上に横たわっていた。
「先生がね、君は雲が好きだから、体の中にも雲が入ってきちゃったんだって!」
白血病だった。
「ねえねえ、約束はしないけど・・・」
「何?」
「病気が治ったら、また空を見に連れてってね!」
「ああ、約束はしないけど、必ず・・・」
「だめならいいよ、つれてってやんないから・・・高ーい空に!」
空に憧れて
空を駆けてゆく
あの子の命は
ひこうき雲
病室の窓から、愛しそうに空を見ていた君の横顔が、僕の見た最後の君だった。
誰にも、何ひとつ約束をしないまま、君は空へと昇っていった。たったひとりで。
でも
空に昇っていった君は、きっと幸せだった。
だって、あのまぶしそうな笑顔のままだったもの・・・