2009.01.20
Clockwork Orange 邦題:時計じかけのオレンジ
イギリスの小説家アンソニー・バージェスの同名小説を、鬼才スタンリー・キューブリックが映像化したディストピア、つまりユートピアの逆の物語。暴力やセックスという人間の持つ根源的な欲望に振り回される若者たちが、管理社会の中で全体主義という暴力の渦に巻き込まれる、一種の風刺映画。
共産主義が支配する近未来のロンドン。人々は額に汗して働く必要がなくなる一方で、シティの治安は極度に悪化。夜な夜な、少年達のギャング団が暴れまわっていました。15歳のアレックス(マルコム・マクドウェル)をリーダーとする4人組の「ドルーグ」もそんな一味。今夜も浮浪者に暴力をふるい、女性を強姦しようとしている別のグループを袋叩きにしたかと思えば、今度は田舎の邸宅に押し入り、作家夫人を強姦する。
ある日、結束の固かったグループ内で、権力争いが勃発。これまでどおり力でねじ伏せて、一端は治まったかに見えたこの仲間割れは、アレックスを陥れるという事態に発展し、そのことがもとで彼は警察に捕まり、刑務所に送られます。
模範囚として刑務所暮らしをするアレックスは、政府の行っている凶悪犯矯正プログラムに参加すれば、刑期短く出所できるという話を聞きつけ、自ら実験台として志願しますが・・・。
アレックスの一人称で語られる物語は、前半はとてつもない暴力があたり前の日常茶飯事という異常な世界。現実的だとはとても思えないのですが、もしかするとこれは人の内面のダークサイドで実は日々起こっていることなのかもしれません。皆さんも、頭の中では非現実的な暴力シーンをイメージしたことがおありでは?
どうにも手の付けられない暴力に対し、その人間を更正させようというのではなく、単に犯罪を嫌悪するだけの、判断思考能力をその人間から奪うという治療を大々的に導入しようとする現政府。人を1人の人間として捉えるのではなく、全体最適の為にシステムとして排除しようとする、科学的短絡的な試みです。
2週間の強烈な治療により、暴力もセックスも、大好きだったベートーベンの第九のメロディさえもが、耐えられないめまいと嘔吐を呼び起こすようになったアレックス。戻るべき家もなくなった彼は、実は気づきの後に戻るべき、あるべき姿としての「善き魂」さえも剥奪されていたのです。
数々のクラシックの名曲とともに、ロシア語と英語のスラングを組み合わせた独特の「ナッドサット言葉」が使われ、字幕では下線付きでカナ表示されます。
挿入歌は、ベートーベン「第九」、ロッシーニ「泥棒かささぎ」「ウィリアム・テル」、エルガー「威風堂々」、パーセル「メアリー女王の葬送」、コルサコフ「シェラザード」などなど。
この映画を観たアメリカの青年が、当時の大統領候補の暗殺を謀り逮捕されます。彼の手記をもとに作られたのがかのスコセッシ作品「タクシー・ドライバー」。そしてその映画を観た青年が、以前お話したように今度はレーガン暗殺未遂事件を引き起こします。
この映画は、暴力の連鎖を風刺しているはずです。しかし人間とはそれ以上に愚かな生き物であることを、この事件の連鎖が物語っています。
物語中で刑務所の牧師の言葉にあったように、人はやはり善と悪の狭間で揺れ動くものであり、そのなかで正しい判断、正しい答えを導くためには、神の教え導きとともに、本人の正しい「判断力」が問われます。
押さえきれないほどのエネルギーに突き動かされる若者だけでなく、人は生きている以上、常に正しい判断をし続けなければならない。それを教育やしつけで教えられないのなら、こんな映画を見せるべきかもしれません。結果は前述のように、どっちに転ぶかはわかりませんが・・・。
出演:マルコム・マクダウェル,パトリック・マギー,ウォーレン・クラーク,ジェームズ・マーカス,マッジ・ライアン
監督:スタンリー・キューブリック 1971年
BOSS的には・・・★★★☆☆
もっとムービー・アーカイブスはこちら >>> 「ムービー・インデックス」