2009.05.03

COLUMN

「孤独」

最近、BSを見ることが多いのですが、お気に入りは大自然の厳しくも美しい映像。最近になって知ったのですが、カナダでの国立公園(National Park)の定義の一つ目は、大自然が存在すること。そして二つ目は、なんと「人がそこにいると孤独を感じること」だそうです。こういう発想って、私たち日本人には、およそ思いつかないことではないでしょうか?

「孤独」という言葉は、時に音のない嵐の如く人を襲い、そのためか弱き人は絶望の淵に追いやられたり、病に伏したり、生きる希望や力を奪われることさえあります。しかし時に人は、あえてこの「孤独」と向き合う時間を持つことも必要ではないでしょうか?

情報技術や機器の発達で、現代社会を生きる私たちは、いわば「リレーション」あるいは「ネットワーク」の中でしか自らの存在を見出せなくなっています。確かに誰かと繋がっていることはとても大切なことだし、一方で孤独な死がマスコミに取り上げられたりもします。

けれど、そんな時代に生きているからこそ、「孤独」というものを背負い、自らの存在などかき消されそうなほどの大自然や、あるいはそこに宿る神と対峙することで、「自己」を見つめなおし、「自己」のカタチ、十分なことや欠けていることを認識することは、とても大切なことだと思います。

もちろん、私たち日本人には日本人として、大切に守るべき沢山の伝統や思想・嗜好があります。できれば、表面的なことだけに捉われるのではなく、「心眼」をもってさまざまなものを受け止めたいものです。

「孤独」の向こうには、夜明けの朝日のように、冬の後の春の日差しのように、誰かと繋がっていること、誰かと寄り添っていることの幸せがあるのです。

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