2009.11.11
「アホは神の望み」村上和雄著
かつて、年功序列に代表された日本企業の長期的経営に対し、アメリカ企業は経営者があまりに短期の成果を求められるがゆえに、短期単年の結果だけを求められる云々という話を聞いたのは今や昔。私たち日本人も、狭い視野と短い賞味期限、そして何より結果だけを求め、企業やその経営者は道のりの描けぬ真っ暗な道を、ライトもつけず突っ走る昨今。
普段の私たちも、「少しでも早く、誰よりも早く」「少しでも賢く、ライバルよりもわずかでも賢く」「お隣よりも少しでも贅沢な暮らしを」と、目先5センチの視界で生きているのではないでしょうか?本当は、目を遠くにやり、耳を澄ませば、遥か遠くの美しい山並みが見通せると言うのに・・・。
そんな時代に異を唱える我が国の遺伝子工学の第一人者、村上和雄著の「アホは神の望み」を読みました。彼は今こそ、そもそも神が望み、ゆえに神に望まれる「アホ」な生き方を提言します。
目先のことにとらわれることなく、「アホ」や「ボンクラ」と言われるくらい悠々と、また常に笑顔を忘れない「笑い」を大事にする人間として生きることの意味を、遺伝子解析の現場から語ります。
確かに一理あります。特に「病は気から」の話や、「笑い」の大切さ、厳しく苦しい時こそ「笑って」乗り越える強さ、「笑って」許せる包容力などは、地球人の一人として、社会人の一人として、そして最もミニマムな友人や家族、職場においても大切なことだと思います。特に現代のような厳しく、世知辛い時代には。
ただ、すべての人間が常にそうであったとしたら、どんな世の中になるのだろうと思ったとき、ちょっとそういう世界が想像できなかったのも事実です。人間はそもそも優しく善良・・・かもしれません。遺伝子的には。でも犯罪は繰り返され、人は心ならずも誰かを傷つけ、時にはその命さえも奪ってしまう。性悪説ではありませんが、わたしは筆者が想像しているよりずっと、人類は違う意味「アホ」だと思うのです。
ただ、「利口」であろうが「小賢しい人間」だろうが「アホ」だろうが「ボンクラ」だろうが、普段どうしてもついつい曲がってしまう背中を時にしゃきっと伸ばすような、たとえば理念だったり、あるいは宗教だったり、そういう自らが理想的な自分を見つめることが出来る瞬間、短い時間でも理想的な自分の見える鏡をもつべきではないかと。
生まれて死ぬまでの間数十年間、ずっと筆者の言うように素晴らしい人間でいられるような遺伝子を持って生まれた人はいいけれど、得体の知れないDNAがそのほとんどを占める凡人の私などが、少しでも人のため世の為に生きようとすれば、やはり目標と言うか、目指すべきあるべき自分に気づく時間をせめて持つことが大切なような気がします。
マスコミに踊らされず、声の大きいものに引きずられず、自分を見失うことなく、それでも自分が穏やかな農耕民族ではなく狩猟民族であるならば、それはそれで狩猟民族としての誇りを持った生き方、いまわの際に「いい人生だった」と言える生き方を、今からでもすこしでもしてゆきたいと、この本を読み終えてそう思いました。
おすすめ平均:
これでイイのだ、現状OKと納得させられる。
一流の研究者にはわけがある
精神と科学
アホな日本の心がダライラマ猊下に賞賛される。
素直で正直、器が大きなアホであれ!
Amazon.co.jpで見る by Azmix