2010.05.20
ジュール・マスネ タイスの瞑想曲 歌劇「タイス」の間奏曲(1894年)
ヨーロッパの自然を映したDVDとかのコマーシャルには必ず登場するこの曲。もともとは歌劇「タイス」の間奏曲です。
物語は、退廃の町アレクサンドリアに住む妖艶な娼婦タイスと、彼女を改悛させようとする若き修道士アタナエルの物語。アタナエルは「肉の愛を捨てて、神(精神)の愛に生きよ!」と彼女に信仰を説くと「本当の幸福とは何か」と問い直し始めるタイス。しかし逆にアタナエルは彼女の肉体の魅力の虜になってしまう・・・。
ミイラ取りがミイラになる!?ってことでしょうか?
生演奏としては、歌劇自体がマイナーなため、歌劇として聴くことはまずありませんし、ヴァイオリン協奏曲の後のアンコールなどで時々サービスでやってくれる程度の曲です。独奏楽器としてはフルートもあります。
肉欲の愛から、精神的な愛へ。崇高なものへの悔い改めを表す、清く美しい旋律ではありますが、はたして愛とはそういうものなのか?いや、それだけでいいのか?それがすべてなのか?
精神なき愛は「愛欲」などと呼ばれ、きっと真の愛ではないのでしょう。しかし精神のみがすべてを救うものなのか?愛とはそれほど高尚なものなのか?人類だけが持ちえる特権なのか?それも神を信じる人だけが・・・
宗教改革が神への祈りを教会(修道院)から引きずり出したように、罪と償いの狭間で揺れ動く私たちだからこそ、そんな穢れた心を持っているからこそ、このメロディの美しさを心から感じることが出来るのかもしれません。
神の愛は、絶対で完璧で永遠です。しかし、有限の命を生きる私たちには、身近にあるささやかな「愛」こそがすべてなのです。この5分少々の旋律のように・・・。