2011.05.16
日本仏教の思想 立川 武蔵著
私の家は真言宗ですが、10代の頃は「無心教」を標榜していました。町内の先輩や後輩が相次いで病気や事故で死去したときも、生物的な概念のみで捉えていました。それは自らの悲しみを論理的に処理するためだったのかもしれません。
大学卒業の年、初めて家族の死に立ち会いました。
家族の一人として存在していた祖父が、心臓が止まりかけては息を吹き返しを繰り返し、遂にはある瞬間から「生」の存在をなくしてしまった目前の数時間。そんな時を過ごし、その現実の処理がそれまでのようにうまく出来なかった私は翌日高熱を出し、心配した両親は私の枕元で僧侶に読教を頼んだほどでした。
祖父の死去に際し、それまでしていたように髭を剃ってあげることも爪を切ってあげることも出来ない。もうあの笑顔も歩く姿も見ることが出来ない。
ならば自分に出来ることは何かと考え、般若心経や十三仏などのお勤めを覚えて唱えてあげることにしました。
しかしそれは、あくまでも死んだ相手に対してしてあげられることというだけであり、続く祖母の死去のときも同様でした。
今から10年ほど前に、勤めていた会社をやめ独立することを決めたとき、世の中に対して奢り高ぶる自分がいることに気がつき、それまで全知全能だと信じて疑わなかった自身などをはるかに超越した存在である「神」にひざまずき、ひれ伏すことが必要だと思った私は、近くにあったカトリック教会に、日曜ごとに通い始めます。
もちろんその扉をたたく前には、「般若心経」やはては「死海文書」関係の本まで読み漁りました。そして、それまでの私であれば決して信じることのなかった「神と子と精霊」を受け入れることになります。
ほどなく今の会社を創業し、仕事も忙しくなっていつの間にかミサに行くことを止めてしまった私は、とりあえず目の前の仕事に没頭する日々を過ごしていました。
世の「社長」は孤独だと言います。いろんなことを背負いながらもがき続ける日々にゴールはありません。
創業から10年近くたった頃、ふとしたきっかけで再び「真言の世界」に立ち戻ることになった私は、真言宗だけでなく仏教には存在しない哲学的概念にある種の物足りなさを感じていました。
本書を読むと、6世紀の仏教伝来以降、普及と進化を遂げてきた「日本仏教」には世界観の構築、現実世界の真理を説く哲学的概念がやはり欠落したままであることがわかります。
だからと言って、今更宗教不要論を唱えるつもりはありません。今では週に2、3日はお勤めもします。しかし自分以外の周りの誰かに対して、声高に宣教するつもりもありません。宗教や信条はあくまでも個人的な問題、それもデリケートな問題だと認識しています。
そして私にとっての宗教とは、世界観を持たないままであっても今ここにいる私自身の「真の存在」の証であり、帰るべき眠りにつく場所であり、しかも常に私を正し、また私を鼓舞する、絶対的な「あるべき私」なのです。
私とは「独立したひとつの世界」などではなく、たったひとつの「彷徨える魂」なのです。