2011.08.08

CLASSICS

ベートーベン 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」作品55(1805年)

ベートーベンの名前を知らない人はまずいないという事実に対し、日本の義務教育に敬意を表します。しかし、その人物像をどれだけ知らしめたかいえばはなはだ疑問であることは、チャイコフスキーのときにお話しました。

偉大な作曲家、ベートーヴェンは1770年にドイツのボンの音楽一家に生まれます。

17歳のとき、かねてから憧れていたモーツァルトに弟子入りしますが、間もなく最愛の母の病のためボンに戻ってしまいます。

22歳のとき、たまたまボンに立ち寄ったハイドンに認められウィーンに移り住み、瞬く間にヴィルトゥオーゾ(ピアノの即興演奏の名手)としての名声を得ます。

しかしその後、持病の難聴が悪化し、26歳の時には中途失聴者となります。

その頃、彼のもつ天性の才能が譜面に残した傑作ピアノソナタ「悲愴」「月光」、ピアノ協奏曲3番を書き記しますが、32歳の時に聴覚を失うという音楽家としての死の宣告から人生に絶望し、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きます。

自殺も考えたベートーベン。しかし彼は不屈の精神力で自らの人生の危機を乗り越え、新しい人生、新しいコンポーザーとしての輝かしい人生を再び歩み始めます。

そのきっかけともなったのが、今日ご紹介する第3交響曲で、その後の中期傑作群を生み出した10年間を、ロマン・ロランは「傑作の森」と賞します。

本作は、第一、第二に続く彼の3作目の交響曲ですが、イタリア語の原題に「Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo(英雄的な交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ)」と書かれており、そこから「英雄交響曲」と呼ばれるようになりました。

1789年に勃発したフランス革命。その後のフランスを大国へと導いたナポレオン・ボナパルトに心酔していたベートーベンは、彼に献呈するためにこの曲を書きます。

しかし1804年には皇帝の座に着いた彼に激怒、「彼もまた俗物であったか」と楽譜を破り捨てたと言われていますが、どうもこのくだりは眉唾らしい。

ただ、実際にナポレオンに献呈するつもりだったようですが、最終的には別の侯爵に献呈されます。

前置きが長くなりましたが、この曲はハイドンやモーツァルトなどの古典派交響曲、そしてその延長線上にあった自らの第一、第二交響曲からは飛躍的な変化・洗練・形式化が進められ、その後の交響曲の黎明の曲とも言えるでしょう。

第一楽章冒頭の第一主題には、すでにベートーベンのアイデンティティが表出しており、この楽章はこの曲を決定づける15分となっています。

全体的にはその後の5番、6番、7番などのコンパクトな完成度と比べると、まだまだ実験的要素の多い曲ではありますが、失意の底から這い上がる青年ベートーベンが、「悲愴」や「月光」とは異なる真の意味の「ロマンチスト」として生まれ出ずる瞬間の、記念すべき一曲。

失意やスランプから今まさにったい上がろうとする方に。

お勧めは、ピエール・モントゥー指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、1962年録音のデッカ版。ベートーベンらしさを超えたモントゥーらしさに溢れた神々しい演奏です。

ベートーベンらしいタイトな演奏なら、いつものショルティ指揮シカゴ響をお勧めしておきます。

 

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